
今でこそ、野球で米国に渡りメジャーリーグで活躍したり、サッカーで欧州に渡りトップチームに所属したりということは珍しいことではなくなりました。しかし、そうはいっても必ずパイオニアが数々の苦難を乗り越えて拓いた道があるからこそ、今のその姿があります。日本バレーボール界において、海外移籍という道を拓いたのが、誰あろう加藤陽一さん。決して平坦ではなかったというその道が続く先は......。
生まれついての「運動一家」
三橋美穂(以下、三橋) バレーボールに関してお聞きします。元々、始められたきっかけは何だったのでしょうか?
加藤陽一(以下、加藤) 母親が私が生まれる前からバレーボールをずっとやっていたことが大きいですね。私が生まれてからもすぐにママさんバレーに復帰するくらいに夢中になっていました。バレーの休憩のときに私におっぱいをやるというような感じだったようです(笑)
三橋 それは生まれついての、というか生まれる前からバレーボールの遺伝子が植え付けられていたようなものですね。加藤さんご自身が物心ついたときにはバレーが身の回りに当たり前のようにあったわけですね。
加藤 そうですね。実は父親はバスケットボールの教員でしたが、私はバレーを選ぶことになりました。
本格的にバレーをやり始めたのは中学校の時です。小学校のときは水泳をずっとやっていました。
三橋 身長はその当時から大きかったのですか?
加藤 小学校6年のときに身長は173cmありました(笑)小学校に通学するときはランドセルと黄色い帽子をかぶっていないとバスとかで大人料金をとられるんですよ(笑)中学校の1年生のときは大きく、でも当然技術がないので試合にも出られなかったのですが、2年生のときにはレギュラーになることができました。そこで大分県の県選抜に選ばれて、国体に出られるようになりましたね。
三橋 そのあたりからバレーが面白くなり始めたんでしょうか?
加藤 その中学校のときのバレーボール部の顧問が体育の先生ではなく、数学の先生だったのです。いわゆる体育会的な指導ではなく「自分が楽しくなれるようにやればいい」という方針で私たちにバレーを教えてくれました。最初に「バレーを楽しもう」という感覚で向き合えたことは大きな意味があったと思います。体を痛めつけてでもやるようになったのは高校に進んでからですね。進学したのは大分で一番バレーの強い高校でした。勉強よりもひたすらバレーという学生生活を送っていました。そこから筑波大学に推薦入学しました。実は数ある大学の中でも筑波大学の推薦をもらうことは当時かなりむずかしかったのですが、一応成績が良かったのでなんとか。
受かるかどうかはこわごわでしたけどね。合格通知をもらったときは「やったー!」と喜びましたよ。
海外という選択
三橋 加藤さんと言えば、海外へ武者修行に出られたことでも有名です。
加藤 日本代表に選ばれて、日本のトップになったとしても海外のチームには勝てないわけです。そのときに「じゃあ、彼らはなぜ勝てるのだろう?どうやってバレーをやっているのだろう?」と疑問が湧きました。実は海外の選手はプロリーグという、すべてが専門家で構成されたシステムの中でバレーをやっていることがわかってきました。当時の日本だと実業団しかなくて、社員として会社で勤務をして、それからバレーをやるような一日でした。バレー一色というわけにはいかなったわけです。
「バレーのことを一日やっていたい!」と日々思いが募るようになりました。しかし所属企業や日本のバレー業界は海外移籍には積極的ではなかったのです。
自分の中でも葛藤がありましたが、最終的に海外に行く道を選びました。移籍したイタリアのチームがリーグで優勝して、そのあたりから日本のバレーにとっても潮目が変わってきたように思います。そこから海外移籍というものが日本のバレーに生まれたのだと思います。これからももっとまだまだ自分の言葉で、プレーで伝えなえればならないことは多いと思います。
三橋 今では当たり前になった海外移籍という道を日本のバレーに拓いたこと功績はすごいことですね。例えば海外でプレーすることで刺激になったことや違いを感じることありましたか?
加藤 海外ではひとりひとりが自分自身のリズムを持っていることですね。生活も、練習もすべて個人にまかされている。それがプレーに直結しているわけです。海外移籍で一番刺激になったのはそこでした。自分自身もイタリアに行って、食事含めて生活に慣れるのは大変でした。
三橋 私も海外での生活体験がありますが、海外では個が育つような環境で、自分で考えて、自分が育つようにしていくというのは家庭でも社会でも当たり前のような雰囲気ですよね。バレーといえばチームプレーです。監督や選手同士でのコミュニケーションはかかせないと思うのですが、語学はどうですか?
加藤 もう大変でした。最初の3ヶ月くらい、家庭教師を雇いました。一番重要なのは数字を覚えることです。スケジュールが理解できないと遅刻したり、作戦なども理解できなかったりする。しかし、だんだんと覚えると楽になりました。こういったことも海外に行かないとわからないことですよね。
三橋 私はイギリスにいたのですが、生活でのなにげない会話とかも大変ですよね。加藤さんはその後フランス、ギリシャと海外チームに移籍されました。違う国で
違う言語。とても大変そうです。
加藤 それはもう!(笑)イタリアやフランスは結構自分でスケジュールや練習メニューも決められたので、早く起きて体を動かすようにしていました。
ギリシャの場合は夜が遅くて、夜8時から練習するんです。そして終わるのは夜11時とか。そこから夕食を食べるので深夜12時くらいにレストランに行き、その後でみんなでお酒を飲みに行ったりするんで、もう午前中なんてみんな寝てましたね。国が違えば生活リズムが全然違うということを学びました。
みんな自分たちでやっているという自覚
三橋 数々の海外チームを経て、現在は日本に戻られてつくばユナイテッドSun GAIAに所属されています。そのきっかけはどんなものだったのでしょうか?
加藤 ありがたいことに、日本の他のトップチームから声もかかりましたし、他の海外チームも考えました。
だけど、最終的に思ったのは「日本のスポーツを第一に」ということ。そして私の考える理想に近いことをやっていたのが今のチームだったんです。
通常あるような一社の冠スポンサーをつけてというのではなく、地元企業も多く参加してもらうスポンサーシップや選手などもバレーボール教室もやってチーム運営費を稼ぎます。また中学校や高校にコーチの派遣というようなこともやっています。
オリジナルブランドのTシャツとかも作って販売したり、学校指定のジャージの受注をとってきたりもします。
とにかく既存のスポーツのビジネスモデルだけではない、バレーを核とした事業を展開しています。そのためにはもちろん、本業もちゃんとやってこそ成立するものです。
この方式の良いのはプロの選手として、どのようにお金が動いてるかをちゃんと理解できることにあります。そしてもっとお金を稼ごうと思うときに、そこでアイデアや意欲がでてくることで、社会のなかにちゃんと座した一人の人間として成立させられるのです。
三橋 スポーツビジネスの新しい姿が見えてきますね。そしてお話を伺っていると地域との強い絆を感じます。
加藤 名前は「つくば」ですが、周辺の千葉や埼玉なども県域の枠を越えて活動しています。震災地域での指導も行っていますし、もっと枠を広げてやっていきたいと思います。
三橋 最後にこれから取り組んでいきたいことを教えてください。
加藤 私は現在筑波大学大学院でコーチに関して学んでいます。バレーの指導者に対してその指導法というものを教えていきたいと思っています。
自立する精神を鍛えることを中心にしたいですね。こちらがすべて答えを出すのではなく、選手が自分自身で考える。そうすることでバレーだけでなく、人生においても、社会人としても自分自身のことを、喜怒哀楽を自分たちで発散して、自分単位で考えていけるようになればいいと思っています。いわば選手ひとりひとりがそれぞれリーダーであるような姿です。最終的には監督いらずのチームになるのが理想ですかね。
加藤陽一 かとう・よういち
プロバレーボール選手、つくばユナイテッドSun GAIA所属。大分県出身。
2002年に人気実力ともに国内ナンバー1の地位を自ら捨て、単身トライアウトを受け、全日本男子代表メンバーとして日本人初のイタリアセリエAへの移籍を成し得た。
日本人離れした跳躍力、スピードのあるレシーブ&スパイクでイタリアへ乗り込み、世界最強と言われるイタリアセリエAリーグで活躍、チームを優勝に導いた。2003年9月より、ギリシャA1リーグへ移籍、翌年1月フランス1部へ移籍、2004年9月より「rPa PERUGIA」へ移籍し2度目のファイナル進出へ貢献し準優勝に導く。
2005年7月に全日本復帰を目指し、Vリーグ「JTサンダーズ」へ移籍。その後、日本初のクラブチーム「つくばユナイテッド Sun GAIA」へ移籍し、欧州プロリーグにて学んできた数々の経験を活かして、2010年よりプレイングマネージャーとして活躍中。
2011年ワールドカップバレー男子大会では戦術分析の解説にも挑戦。
(オフィシャルブログ:http://ameblo.jp/yoichi-kato/)
三橋美穂 みはし・みほ
快眠セラピスト。寝具メーカーの研究開発部門長を経て独立。心の環境、体の環境、睡眠の環境を整えることが快眠の3つの柱と考え、睡眠とストレス、食事、色彩、体操、呼吸法、寝具などとの関わりについて研究。講演や執筆、個人相談を通して、眠りの大切さや快眠の工夫、寝具の選び方などを提案している。特に枕は、その人の頭を触っただけで、どんな枕が合うかわかるほど。睡眠を多角的にとらえ、その幅広い知識と、実践的でわかりやすいアドバイスには定評がある。ベッドメーカーのコンサルティングや、ホテルや旅館の客室コーディネイトなど、企業の睡眠関連事業にも携わる。著書に『ねこに教わる快眠レッスン60』(PHP研究所)、『幸せを呼ぶ快眠ヒーリング』(日本実業出版社)などがある。
(オフィシャルサイト: http://sleepeace.com/)

【三橋美穂さんの取材後記】
とても爽やかで、日本人離れした容姿の加藤選手。海外でも活躍され、世界を体験してきたからでしょうか、静かに語りながらも、自分をしっかりと持っているという印象でした。今、目指されている、選手ひとりひとりがリーダーで、監督はいらないというチーム像には、新しい時代を感じました。コーチが力で引っぱって行くピラミッド型の時代から、グループワーク型の時代へ。これからの加藤さんのご活躍も楽しみです!



