有森裕子さん(元マラソンランナー)/第2回 アスリートにとっての睡眠とは


arimori_02_bodyphoto.jpg現役を退いたとはいえ、今でも走ることは有森さんにとっての日常であることに変わりはない。アスリートとしての長い年月継続してきたことは、今でも有森さんの習慣となっている。今回は、そんな有森さんと睡眠の関係をもう少し深く掘り下げてみよう。

「寝る」というより「休む」
現役アスリートとして日本だけでなく世界のマラソンレースに参加していたとき、ある意味睡眠は、有森さんにとっては克服しなければいけない一種の「壁」であったそうだ。

 「寝なければいけないんだ!」と強迫観念のようになってしまうのがつらかったですね。そうなるとますます寝られなくなっちゃう。レースの前の日とかだと、もうプレッシャーで本当に眠れなくなってしまうこともありました。だから私は「休めればいいんだ」と思うようにしています。例えば、今でも結構そうなんですが、どこでも横になって体を休めることが多いですね。昼寝とまではいいませんが、ただ、横になる。その時に「寝よう、寝よう』とは思わない。「休もう、休もう」と思っています。私にとっては「睡眠=頭を休める」という感覚ですね。アスリートとして様々な制限のあるなかで身に付いたものなんだと思います。

どこでも寝られるということ、そして睡眠を「休む」という気軽なものとして捉えることで、心身のリラックスを図る。それは有森さんがアスリートとして培ったひとつの「武器」なのかもしれない。アスリートは当然、いろいろな場所でのレースや大会に参加するために移動が必須。そして移動手段だけでなく、着いた先での宿泊施設でもちゃんと寝られるようでなければ、本番へ挑むのに100%の準備とは言えなくなってしまう。
ところで、有森さんの睡眠時間はどれくらいなのか?


 私の場合、 おおよそですが1日6時間くらいがちょうどいいですね。7時間眠るともう勝手に目が覚めてしまいます。結構、規則正しいですよ。先ほど言いましたけど、私の睡眠習慣はよく考えると大学時代に身に付いたものなんです!

先輩と目覚まし時計
 私は大学時代、陸上部に所属していて、寮に住んでいました。その時の朝練習が関係してるんですね。実は陸上部でも、朝練習のある種目というのは意外とそんなに多くないんです。長距離の場合は、その朝練習があったので、私は毎朝、早朝に起きだして練習に行ったのですが、その際にひとつ問題がありました。寮では他の部員と相部屋で、私の場合は投擲(とうてき)の先輩と一緒だったんです。投擲には朝練習がありません。でも後輩の私が、まだ先輩が静かに寝ているときに目覚ましをかけることなんてとてもできない!

 それでも朝練習に遅刻するわけにはいかないので目覚ましをセットするんですが、先輩がコワいから朝になったら目覚ましよりも先に起きて止めてしまいます。「目覚ましが鳴る数分前に起きなきゃ」というある種の緊張感のなかで寝ていたわけです(笑)。それが何年も続いたら、今のように6時間睡眠という自分の「睡眠ペース」ができてしまいました。ちゃんと起きることが出来たら「パーフェクト!」って言ってね(笑)。

マラソンという特殊性
長年マラソンという過酷なスポーツの最前線で世界を相手に戦ってきた有森さん。睡眠との関わりにおいて、マラソンという競技の特殊性について聞いてみた。

 ひとことで言うなら、スタート時間はコントロールできないということですね。例えば私が出場したバルセロナオリンピックでは、女子マラソンのスタートは現地時間夕方の6時半でした。アトランタオリンピックの場合は現地時間の朝の7時です。同じ競技で、場所が変わるだけでこれほど開始時間が変わるスポーツって他にないと思うんですよ。普通はスタートの5時間前には体を起こしておきます。ただし、バルセロナの時は、私は朝から起きてたんですよ。アトランタも本当はセオリー通りなら午前2時に起きてなきゃいけない。ということは7時間を睡眠時間にとっておくなら午後7時に寝なきゃいけないんだけど、はっきりいって寝られなかったです(笑)。

「アトランタのレース前夜はほとんど眠らなかった!」
ここで有森さんの言う「睡眠=休む」理論が現れるわけだけだが、アトランタ五輪のレースは睡眠と大きな関係があったらしい。

 オリンピックですから、やっぱりプレッシャーもあるんですよね。「寝なきゃ、寝なきゃ』と思うと逆効果。その時に監督が私にかけてくれた言葉が「目をつぶって休めているだけで大丈夫だから』というもの。ですから、アトランタの時って、私はほとんど寝てないんです。というか寝ても記憶が残っているような感じでした。それでやっと予定の午前2時に体を起こしたわけです。でも、「休めたんだ」ということをカラダに言い聞かせると、結構楽で、力もいいように抜けてカラダが動きました。


睡眠改善インストラクターの一言:マラソンという極めて過酷な競技のトップアスリートが、オリンピックレースの前夜に「眠らず」に銅メダルを獲得できた、と言う事実は「おおらかな気持ちで眠りに向かう」ということに大きな勇気を与えてくれます。因みに5分から20分くらいの仮眠はとられるそう。私たちが提唱するsmart nap ですね。

アスリートと睡眠の関係
では、プロのアスリートと一般の私たちの睡眠の違いはどこにあるのだろうか?

 これは私自身もそうなんですが、どこでも寝られることなんじゃないでしょうか。プロのアスリートと呼ばれる人たちには共通することだと思います。乗り物でも、ホテルでも、ある意味ずぶとく寝られるくらいの人じゃなければ実績はあがらないのではないでしょうか。それと、意外と男性の選手のほうがそういうことには神経質な人は多い印象がありますね。枕とかベッドの硬さなんかにこだわる人もいます。アメリカ人の選手はピロー(枕)を持ち歩く人が多いですね。

アトランタ五輪の際の有森さんのお話から分かるように、実際のレースの前から戦いはスタートしている。睡眠といかにつきあうか?
競技の結果も左右する睡眠について、アスリートは一般的にどのような捉え方をしているのだろう。


 簡単に言うと「寝る選手』と「寝ない選手』の両方のタイプがいます。例えば、練習は少し寝てから始めるという選手もいました。私は練習前は寝ないほうですが。全体的に見ると、あまり眠らない人は少なく、大部分は「たっぷり眠る」派だと思います。

 すべてのアスリートにとって、トレーニングを組み立てていく過程で、「睡眠の設計』はとても重要だと考えています。睡眠とは機能です。理論的なトレーニングを組み立てるのであれば、睡眠まで計算に入れて考えておく。いつ、どのように寝るのかということもそうですが、自分自身がどのように睡眠とつきあうのかということをちゃんと認識しておく。残念ながら、今でも睡眠とトレーニングをキチンと設計している選手はそんなに存在しないと思います。今後、睡眠とスポーツの関係性はもっと深く考えていく必要があるでしょうね。

有森 裕子(ありもり・ゆうこ)
元マラソンランナー。バルセロナ五輪女子マラソンで銀メダル、アトランタ五輪で銅メダルを獲得。NPOハー ト・オブ・ゴールド代表理事、国際陸上競技連盟女性委員会委員、国連人口基金親善大使、スペシャルオリンピックス日本理事長などを歴任。現在も日々走るこ とで、世界の人々に夢と希望を与える活動を行っている。
 
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